企業は学生を理解できてる?

宗一郎は、企業に勤めていたころ、毎年面接官として新卒の採用活動に関わっていました。面接またはグループディスカッションの対応です。

 

集団面接ともなると、面接官1人に対して3人の学生の自己PRやら志望動機やらを同時に聞いて、メモして、合否を決めるといったプロセスを30分単位で進めます。1日で合計10組ほど終えた時には、へとへとで記憶がないくらいでした…

 

大卒の就職活動の大まかな流れは、エントリーシート→集団面接(orグループディスカッション)→個人面接→内々定で、どの企業でもだいたい同じような感じだと思います。宗一郎が学生だった2000年代後半から現在まで、選考プロセスは大きく変わっていません。

 

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大卒社会人の3年以内離職率は、ここ15年間ほどは25~35%あたりを推移しており、際立って改善も悪化もしてない状況です。

(コロナの影響で転職活動が活発でないこともあり、2018年3月卒社会人の3年以内離職率は31.2%と、前年に比べて若干改善しました。)

 

職歴が長いベテラン社員は、公私にわたる変化(昇進、転勤、結婚、出産など)によって、退職する理由もそれなりに多様になります。

 

一方で、入社してそれほど時間が経っていない若手社員の場合、採用時点の学生と企業の相互理解ができていれば、退職を避けられたケースも少なくありません。

いわば、若手社員の離職は、採用活動の成否と相関関係が強いといえるでしょう。

 

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最近企業が力を入れている採用活動は、インターンシップによる入社前の仕事体験や選考時点で職種を保証する制度、SNSを活用した企業紹介などです。

 

これらの施策の主目的は、「こんなはずじゃなかった!」といった入社後の若手社員の失望(ミスマッチング)を防ぐためです。また、いかに優秀な学生に集まってもらうか(応募してもらうか)、という母集団形成(魅力のアピール)のためでもあります。

 

つまり、企業は採用活動(=離職を防ぐ)の課題は、“学生側の企業理解の不足”であると考えているということです。

 

これは確かに大切です。そもそも学生に選ばれなければ(応募)、企業が学生を選べない(選考)わけですし。

 

けれど、別の観点で変えるべきでは? と宗一郎が感じるものがあります。

 

それは“企業側の学生理解(見極め)”です。

具体的には選考プロセスにあたりますが、これ自体、“学生側の企業理解の向上”の取り組みに比べると、前述の通り過去から大きく変わっていません。

 

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ほとんどの企業が内々定をだす最後の選考プロセスとして面接を行います。

たしかに面接は、その企業にふさわしい人物なのかを、学生の雰囲気や相性を含めて最終確認する場としてふさわしいでしょう。

 

けれど宗一郎は、エントリーシートや30~60分程度の面接“だけ”をもって、合否を決めていることにどうしても違和感をもってしまいます。

 

この違和感の正体ってなんなのか?

 

それは、選考の内容が、“学生の表現力”に頼りすぎってことではないかと思います。

 

選考プロセスの中心である、エントリーシートの記述内容や、面接での回答内容は、あくまで学生の“自己申告”にもとづいて進められ、企業はその内容についてあとで確認したり、裏をとるといったことはしません。

 

そのため、表現力の高い(悪い言い方をすれば、口のうまい)学生が圧倒的に有利な仕組みとなっています。場合によっては、企業側が学生の虚偽の発言を見抜けないこともあるでしょう。

 

表現力は、社会人として必要なスキルであり、十分評価して問題ないではないか?という意見もあります。

 

確かにそうですが、面接での表現力が高い人(口のうまさ)ばかりが過大に評価され、本来その企業で活躍できる能力が十分あるのに、表現力が足りなかったという理由だけで、優秀な学生を逃してしまうリスクもあります。

 

学生に求める資質として、多くの企業がコミュニケーション能力を挙げています。

面接で測れるコミュニケーション能力は、“その場で理路整然と答えられる能力”であって、実際に仕事で求められるような“(たとえ朴訥であっても)信頼関係を築く能力”“相手の気持ちを汲んでそれに応える能力”など、本来評価すべきスキルとは似て非なるものでしょう。

 

つまり、口下手だけど、着実に成果を出す学生が救われないのでは?って思うわけです。

 

宗一郎の過去の経験では、自己PRの約8割が、バイトor部活orゼミのリーダー経験であり、面接では“なぜ?”を問い続ける深堀質問で学生の本質に迫ろうとしますが、それでも限界はあります。

 

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なので、“学生の頑張り(実績)“を客観的に評価できる仕組みがあってもいいのでは?と思います。

 

例えば、体育会で活躍した学生であれば、部活の顧問に、(組織としてではなく)学生個人があげた実績や、長所・短所などを記載したレポートをつくる。発信活動に力を入れた学生であれば、ブログやツイッターの内容、フォロー数などがわかる資料を提出するなど。

 

形式はなんでもいいので、このような学生時代の“実績のエビデンス”を提出してもらいます。(形式って、回数を重ねていけば洗練されていくものだから)

 

アメリカでは、採用を考えている会社が、応募者の前職での実績や勤務状況に偽りがないかを、一緒に働いたことのある同僚や上司に確認するリファレンスチェックという調査が一般的です。

 

面接の場で自分をうまく表現してアピールできる力は大切です。ただ、それ以上に重要なのは、試行錯誤しながらも、毎日地道に継続し、実績をつくる力。これこそが長い長い社会人人生を歩む上で必須といえるでしょう。

 

企業がより多面的な角度から、学生を正しく評価できる仕組みができればいいなと思います。

 

まぁ、宗一郎自身がそんなに口がうまい方ではなかったので、半分願望も入ってるんですけどね…

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ゴーストタウン化する京都

京都市が大変なことになっているようです。

借金8,000億円以上、これがなんと30年以上赤字が続いているようです。市長曰く、「このままでは10年以内に京都市の財政は破綻しかねない」とのこと。

 

そもそも30年以上赤字って、もっと早くからマスコミ含めて問題提起されてしかるべきでしょう。

 

少なくともコロナ禍までは、観光業で絶好調のはずだった京都市。なぜ借金は8,000億円まで膨らんだんでしょう。

 

理由のひとつが、地下鉄東西線建設の市債

建設当時、バブル期のため建設費の膨張というものがあったようですが、もうひとつの理由が独特です。

地下鉄を掘り進めているうちに、至るところに埋蔵文化財が見つかり、この発掘コストが余計のかかったとのことです。京都という土地柄、ほかの地域では想像もつかないことがあるんですね。

 

二つ目の理由が、橋梁の耐震補強のコスト

 

これ、他の自治体も他人事じゃないですよね。橋だけではなく、道路や水道管などの老朽化サイクルはどの自治体も抱える課題です。

 

橋梁について、京都市は553か所で、政令指定都市の中では平均くらい。最も多いのは、横浜市の1,055か所。横浜市、劇場とかつくってて大丈夫か?

 

3つ目は、無電柱化にかかるコスト

 

景観美化のため、無電柱化に取り組み、さらなる観光業の活性化→税収アップを図る。というのが、当初の自治体担当者の計画だったのでしょう。

 

しかし、ふたを開けてみれば、インバウンドで観光業は活性化したものの、観光で動くお金はそれほど大きくなかった。しかも、観光を担うのは地元の零細企業が中心のため、税収も想定より低かった。

 

そういえば、小池都知事の前回の都知事選で掲げた7つのゼロ公約の中にも、都道電柱ゼロ政策がありました。結局6つ未達成のままですが、東京在住の宗一郎にとって、今となっては未達成のままでよかったと思います…

ゼロ政策にこだわりすぎて、水道だとか、道路だとか、ライフラインに直接かかわるものが後回しになってはたまらないから。

 

政府のジャッジメントと、市民による監視、そしてなにごともバランスが大事であると、つくづく感じます。

 

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では、京都市の財政改善に向け、今後の税収は期待できるのか?ということですが、こちらも前途多難です。自治体の主な収入源(税収)は、固定資産税と住民税ですが、どちらも京都市ならではの課題があります。

 

<固定資産税>

固定資産税がかからない神社仏閣が多いこと、景観保護のため高層マンションNGにより、税収増が困難。観光都市(観光最優先)ゆえの悩みです。

 

<住民税>

大学の街で学生が多いため、住民税を納める人の割合が政令指定都市でワースト1位。さらに、住宅ではなく、ホテル・宿泊施設が増えたため、2020年人口流出もワースト1位とのこと。

 

2007年に全国で唯一財政破綻した北海道・夕張市は、公共施設が次々と閉鎖し、市民税や下水道料金は値上げされ、家庭ごみの処理が有料になるなど、市民サービスは大幅に削られました。そして、かつて約11万人いた人口も7000人余りに激減しました。

 

京都市は現在、市営地下鉄や市バスの運賃の値上げ、保育所への補助金削減による保育料の実質値上げ、消防職員を1割近く減らすといったことを検討しているようです。

 

そして、火に油を注ぐように、159億円かけての市役所の改修工事。

 

夕張市の二の舞となり、(観光客と学生などの)人はいるけどゴーストタウンみたいな未来も現実味を帯びてきました。

 

夕張市財政破綻した際、“まさか、あのメロンで有名なところが?”ととても驚きました。国民の知名度で言えば、京都市はそれの何十倍もありますが、また同じことが繰り返されようとしています。

 

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自治体運営にとって大事なことは、外から一時遊びに来る人をもてなすことではありません。“その土地に長く住む人”をいかに大切にするかってことです。

 

自治体の財政を潤す住民税や固定資産税を負担しているのは、世界中から集まってくる観光客ではなく、地元の人です。いくら観光を基幹としている地域でも、その税金を観光に集中投下して、住民生活を蔑ろにしては、長く地域社会が持続するはずがありません。

 

住むべき自治体の選び方って、ネームバリューでもなく、ましてや観光ランキングでもなく、地に根を下ろした地元の人たちをいかに大事にしているかである。というお話でした。

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世の中に効くバラエティ番組

宗一郎は、テレビ・ラジオのバラエティ番組が好きでよく見ています。中学時代がそのピークで、毎日テレビにかじりついていました。

当時、特に好きだったのがボキャブラ天国

キャブラーと呼ばれる若手人気芸人が、ショートネタで毎週競い合う場面を、毎週ハラハラしながら見ていました。

海砂利水魚(現くりーむしちゅー)、ネプチューンアンタッチャブルなどが出演していました。

ビデオテープにちゃんと録画されるかが不安で、塾をさぼり、親にめちゃくちゃ怒られたのもいい思い出です。

 

進め電波少年も好きでした。

猿岩石のユーラシア大陸横断ヒッチハイクは毎週夢中で見ていました。西武球場での凱旋コンサートにも遊びに行ったりしました。

 

そして、なにより爆笑問題が好きで、深夜ラジオの爆笑問題カーボーイは、高校受験の勉強をきっかけに、今でも聞き続けています。

 

当時のバラエティ番組は、なんでもありで、活気があって、危なっかしくて、そして自由でした。今の石橋を叩きまくる番組づくりに比べると、なにが起こるかわからないドキドキ感は、比べものになりません。

 

番組の捏造をきっかけに、2007年以降、BPOのテレビへの監視機能が強化され、番組はどんどん大人しくなっていきました。世の中のテレビの内容に対する目も厳しくなりました。

 

放送倫理の名のもとに、ちょっとでも暴力的・いじめを助長するような表現は、すぐに審査の対象になります。昔を知っている人からみれば、面白くなくなった・楽しくなくなったという意見があるのも当然でしょう。

 

それでも、宗一郎はあの頃のテレビに戻ってほしいとは思いません。

 

振り返ると、当時の番組は自由である一方、“面白い”のために犠牲になって傷ついた出演者も多くいたんだと思います。そもそも傷つけているという意識もなければ、声を出すという雰囲気でもなかったでしょう。

 

そして自分自身もテレビのノリを正当化して、もしかしたら友だちやクラスメイトを無意識に傷つけていたのかもしれない。本当に、身勝手で幼稚でくだらなかったと思う。

 

子どもの行動を規定する上で、テレビの影響ってやっぱり大きい。大人のマネをしたくなるのが子どもです。

 

誰かの犠牲の上で成立する面白さなんていらない。

 

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先日NHKで、千原ジュニアとYOUがジェンダーを語る番組があるのを知り、時代が変わったことを改めて実感しました。

宗一郎が中学生のときには、お笑い芸人がジェンダーを語るなんてありえなかった。ジェンダーという言葉すらなく、むしろジェンダーを蔑ろにして笑いを取っていました。

 

BPOをきっかけに、テレビのネガティブな部分をどんどん取り除いていったのが、2010年代。

 

そして2020年代は、お笑い番組だって、単に笑えるということだけでなく、きっと社会にとってポジティブな内容(環境やSDGs、いじめ撲滅など)が、BPOから、そして社会から求められていくんだろう。

 

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幼少期から受けてきたさまざまな環境や刺激によって、形作られている価値観や性格は簡単には変えられないものだ。

だから、社会はすぐには変わらない。

 

それでも、世代が変われば、その世代が共有する当たり前も変わり、世の中も一気に変わる。これが、パラダイムシフト。

 

祖父母の世代では、暴力や差別が当たり前だった。

さらに上の世代では、戦争が当たり前だった。

そのさらに上では、身分制度が当たり前だった。

 

テレビだけをとっても、私の時代より格段にクリーンなコンテンツの中で生きている子どもたち。

生ぬるい環境の中で、社会の厳しさを乗り越えていけるのか?という意見もあるが、当たり前が変われば、生ぬるいなんて発想自体が消えていく。

こうやって、少しずつ社会は良くなっていくものだと思う。

 

メディアの努力も、そのひとつの成果だと評価したい。

 

そして、いじめだって、長時間労働だって、環境問題だって克服できるだろう。

未来に希望をもって。

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ここが変だよ、保育園申請

今週、来年4月に向けての子どもの保育園入園申込の手続きを行いました。

 

都内某自治体での申請ですが、入園枠については、人数超過でどこにも入れないという一時期の大変な時期からは改善され、選びさえしなければどこかしらには入園できるという状況です。

 

それでも、未来の親御さんのために、ここは変えた方がいいよな、ってことがいくつかありましたので、下記したいと思います。

 

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ひとつは、やっぱり紙文化。役所の十八番とでもいいましょうか、保育園申請でもご多分に漏れずです。申請書にしても、添付書類にしても、いまだに紙での作成・提出が基本です。

 

紙媒体であるがゆえ、申請書を入手するときも、提出するときも、いちいち役所に出向く必要があります。役所側からしても、常設の窓口を設ける対応が発生します。

 

もちろん、保育園に入園希望者ってほとんどが働いているので、窓口は休日に集中することは必至です。

当然、対応する役所の方も休日出勤でしょう。それに、4月入園に向けた申込が他の時期に比べて集中するので、この時期の恒例行事として、いろんな部署から人員が駆り出されてるんでしょう…

 

やっぱり申請書を電子化して、専任の担当者がWEB上で内容をチェックするって進め方はできないんですかね。窓口を設ける手間が省けるだけでも、だいぶ効率化できると思います。

 

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あと、親の納税額の確認、これも1月1日時点で異なる自治体に在住していた場合、以前住んでいた自治体に取り寄せないといけず、だいぶ手間がかかります。(郵送で、返信用封筒や定額小為替を送付)

 

宗一郎的に、変えてほしい行政の仕組みトップ3に入りますが、納税額を国や自治体が把握・共有するシステムを早くつくるべきです。

年末調整や確定申告も税務署がデータをもってるはずで、シェアすればできる話ではないのか。

 

保育園申請だけでなく、話題の給付金だって、国民の所得を国が把握していれば、困っている人にタイムリーに支給できます。逆にこの仕組みがないと、岸田首相のプッシュ型の支給も土台無理でしょう。

 

もっといえば、資産額も含めて把握できるようにするべきです。納税手続きとか脱税のチェックだって、より効率的で、国にとっても税金の取りっぱぐれがないはず。

お金持ちの政治家の資産規模を把握されるのがまずいから、進むもんも進まないとかいわれてるけど、政治家さん、いい加減そういうのやめませんか。

 

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それと、実際に保育園の送迎を経験してみてわかったのは、保育園は立地が圧倒的に重要だということ。なにしろ毎日のことなので、保護者の通勤経路から少しずれたところにあるというだけで入園を悩みます。

2歳児までは送迎バスも利用できないことが多いため、特に大事です。

 

また、育児休暇を終えるタイミングと重なって、年齢区分の中で、“1歳児”の入園申込が特に集中し、希望する保育園に入れないといった問題もあります。

 

結果として、保育園までの送り迎えが必要な家庭の多くが、わざわざ自宅から遠い保育園しか選べない。これって変ですよね。

 

そこで、いっそのこと保育園と幼稚園の対象年齢を明確に分けるのはどうでしょうか。0~2歳児までは保育園、3~5歳までは幼稚園というイメージです。

 

現在、保育園は福祉施設厚労省管轄)、幼稚園は教育施設(文科省管轄)という区分けになっていますが、実態としての提供するサービスに大きな差はありません。

そもそも、同じ3~5歳なのに、預ける先によって、福祉と教育で分けられてしまうのはおかしな話です。

 

幼稚園の預かり時間は14:00頃までと、専業主婦を前提とした時間に設定されていますが、共働きの夫婦の実態に合っておらず、幼稚園についても親の終業時間を前提とした運営を再構築するべきでしょう。

 

また、保育園と幼稚園で担う年齢をわけることで、各年齢の保育・教育に応じた専門性も深化するでしょう。なにより、ドアツードアでの送迎が必要な家庭の保育園の選択肢の幅が広がります。

 

未来のお父さんお母さんの仕事と家庭の両立がより快適になることを願って。

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幸せな働き方には、幸せの形づくりが必要

いわずもがな私たちは資本主義の中で生きています。資本家と労働者の関係の中で、大半の人は労働者として、働いています。

 

単刀直入に言います。労働者は資本主義では豊かになれません。そういう仕組みになっています。

だからこそ、かのカール・マルクスも団結して革命を起こそう!と奮起しました。

 

では、労働者である私たちは、どうすれば幸せな生き方や働き方を実現できるのか?

 

宗一郎は、団結したり革命したりするのではなく、虎視眈々と自分の“やるべきこと”をやって、自由な生き方・働き方をめざすのが、現実的かつ確実な方法だと考えます。

やるべきことって、例えば、資本主義の仕組みを少しでも知って、理想に近づける行動を起こすことです。

 

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そもそも労働者の給料ってどうやって決まるのか。2種類の考え方があります。

 

①必要経費方式

②利益分配方式

 

日本で働いている限り、ほぼ①に当てはまります。

外資系金融機関など、②に該当する会社もまれにあります。)

 

①とはなんぞや?ということですが、給料は能力でも成果でもなく、“明日も同じように働くための必要は経費”が給与として支給されるということです。

 

身も蓋もない言い方をすれば、資本家にとって労働者が、次の日も朝から元気に1日働けるように、“最低限”必要なお金だけが給料として支給されるにすぎないのです。(これをマルクスは「労働力の再生産」と表現しました。)

 

いやいや、日本でも成果主義が浸透しているじゃないか、という意見もあるでしょう。

あくまで、それは①のおまけのようなものです。事実、査定によって増減する給与額って、おそらく年収の数パーセント程度ですよね。

 

だから、頑張れば頑張るほど給料が上がるわけではないんです、残念だけど。

日本全体がこの仕組みなので、転職しても状況は変わらないし、給与が上がらないのは日本の景気のせいでもありません。

 

必要な経費とは、具体的には、食事や住宅(家賃)、洋服、その他気晴らしの飲み代などです。

働かないオジサンの給与が高いのも、子どもができて、家族を養うための生活費がかかるからです。

 

給与が高い人は、その分必要経費が高いだけです。

仕事の内容や職種によって、高低があるのは、その仕事をするスキル習得にかかるコストが上乗せされているから。

ストレスが大きい仕事が多く、その分の気晴らしにかかる金額も高く見積もられているでしょう。

 

嫌な言い方をすれば、資本家にとって、労働者がお金持ちになりすぎて仕事をしなくなるラインと、お金が少なすぎて元気に働けなくなるラインのギリギリを見極めてるってことでしょう。

 

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では、私たち労働者がどう挽回するのか。ポイントは、給与の水準が“社会一般的に”必要な経費であるってことじゃないかと思います。

 

給与は経費で決まるといっても、(交通費などは別にして)食費や衣服費をいちいち会社に申請して、実費支弁で受け取るわけではありません。一般的にこれくらいかかるよね、という金額をもとに計算されます。

 

つまり、個々人でかかる費用が一般的にかかる必要より少なければ、その分お金が残ります。それを元手に、投資という労働者から資本家に軸足を移す行動をしていく。

 

①手元のお金が増える → ②投資する(資本家側にまわる) → ③投資利益を得る → ①に戻る

 

このサイクルをまわしていくことで、金銭的・精神的に余裕ができ、生き方・働き方の選択肢も広がっていきます。

 

記述の通り、労働者としていくら頑張っても、あくまで必要経費分しかもらえないので、ずっと同じ働き方を続けることになります。(資本家の思う壺です。)

 

もうひとつ大切な点は、“最低限これさえあれば幸せ”の具体的な経費を把握することです。

 

例えば、運動が好きだから近所をランニングできれば幸せ、だとか、Netflixでドラマさえ見ていれば、幸せだとか。

 

ここでの要点は、”極力お金を使わずに”ということです。

 

贅沢(お金を使う)をしようと思えば、いくらでもできます。給与が上がった分、使うのは簡単です。

けれど、上を上を目指し続けるのが、資本主義の考え方です。資本主義に依存しない幸せを見つけることが大切です。

 

宗一郎は、家族とくだらないテレビを見ながら笑いあうだけで、天気がいい日の空を見上げるだけで、十分幸せだと感じます。

昼も夜もなく働いて、たくさんお金を稼いで贅沢するよりも、よっぽどめざしたい生き方だと思えます。

 

足るを知る、の具体化をしてみよう。

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お金持ちの財布の紐をゆるませろ

GoToキャンペーンの再開がニュースになっています。昨年のキャンペーンの反省をふまえ、Go To 2.0として、平日や中小企業に対する割引率を上乗せすることが検討されています。

 

この話題になると、きまって“富裕層ばかり優遇するな、不公平だ”といった声が少なからず聞こえてきます。

ほんとうにそうでしょうか?

 

日本の2人以上世帯の平均貯金額は下記の通りです。(2018年・総務省

 

29歳以下           154万円

30~39歳          404万円

40~49歳       652万円

50~59歳     1,051万円

60~69歳     1,339万円

70歳以上      1,263万円

 

また、新型コロナウィルス感染拡大の影響でお金を使う場面が減り、日本人の貯蓄額は2年連続で増えています。

 

持ってるところはもってるんだなって印象です、特に高齢者。

 

お金持ちがお金をため込んでしまっては、お金が全体にめぐって来ずに、ますます格差が拡大します。

 

GoToキャンペーンのような需要喚起施策は、お金を使う側にとってお得に観光したり食べたり飲んだりでうれしい、お金を受け取る側にとってお店が繁盛してうれしい、政府にとっても経済がまわってうれしい、の三方よし。これこそ健全な分配です。

 

なので、宗一郎はGoToキャンペーン自体には賛成です。

 

現時点で観光と飲食に対して実施されているこのキャンペーン。適用の対象範囲をもっと拡大してもおもしろいと思います。

 

お金持ち(特に高齢者)がお金を進んでつかう仕組みってなんでしょう?

宗一郎的に思いつくのは、こんな感じです。

 

GoToフィットネス・アウトドア

・高齢者の健康需要に応える

・ジム使用料はもちろん、キャンプなどの装備代やアウトドアの交通費も対象

・健康増進による医療費の削減にも寄与

 

GoTo 孫の世話

・コロナ禍で長らく孫に会えなかった高齢者も多く、可愛がりたい需要は高いはず笑

・学費(学校・習い事等)、衣服、遊興費など

(現在でも、1,500万円/人までの教育費贈与は非課税だが、その金額や対象項目を拡大するイメージ)

 

GoTo SDGs

・環境に配慮した製品購入時の税制優遇(電気自動車、プラではなく紙製品など)

 

日本人は、期間限定やキャッチーなネーミングにも財布の紐がゆるみやすいですよね。

なので、GoToキャンペーンという市民権を得た施策を、時限的かつ大規模に展開するのもありだと思います。

 

ということで、お金持ちにはどんどんお金を使ってもらおう!

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エネルギー問題と企業の性

10月31日~11月12日に英スコットランドグラスゴーにて、COP26が開催されています。この会議は、1995年から毎年開催され、今年が26回目です。

 

現在グローバル共通の目標として、地球の平均気温を産業革命前から1.5度に抑えることをめざしています。そのためには、2030年までに温室効果ガスの排出量を45%削減、そして2050年までに正味ゼロにする必要がある、とのこと。

 

岸田首相は演説において、水素やアンモニアを利用した火力発電のゼロ・エミッション化を前提に、石炭をはじめとした火力発電の維持を表明しました。

で、その演説を受け、温暖化対策に消極的な国に与える不名誉な“化石賞”を2回連続受賞とすることとなりました。

 

日本としては、CO2を減らせるならとにかくなんでもやろう!ということで、地中に埋めるという研究も進められています。

 

これ、宗一郎としては、そもそも地中に埋められるCO2の量は限られており、いつかは限界がくるため、単なる未来の世代への問題の先送りでは?とも感じます。

コスト的にも1トン削減するには約7,300円かかり(苫小牧での実証実験)、自治体や企業はまだまだ手がでないでしょう。

 

ちなみに、日本の間接排出量(実際に電力を資料したところ)の割合はこのようになっています。(2019年度)

 

産業(工場)              34.7%

運輸(飛行機・自動車・電車)     18.6%

業務その他(商業・サービス・事業所) 17.4%

家庭                 14.4%

エネルギー転換(発電所)                 7.8%

工業プロセス(石灰石消費)          4.1%

廃棄物(廃プラスチック・廃油の償却)  2.8%

その他                                                         0.3%

 

これをみると、工場や運輸の一部(飛行機や電車)、業務その他など、少なくとも7割以上は企業活動での排出となっています。

まず、手を付けるべきは、ここ(企業)なわけです。CO2削減にむけて、どうすれば企業が本気で動いてくれるのか。

 

宗一郎は、企業も人間も、所詮本能で動くものだと考えています。

目の前にお金が得られるチャンスがあれば、環境を守るのが大事と頭ではわかっていても、前者を優先してしまうので人間です。人間が営んでいる企業も同じである、ということです。

 

グレタさんがどれだけ一生懸命危機感を煽っても、やっぱりそれだけで動くとは思えないのです。

 

投資家による環境重視の投資(ESG投資)が“始まっている”と言われますが、それが実質的な環境改善効果を得られるまで、果たしてどれだけ待てばいいのか(それを待っていたら、到底間に合わない)とも思うのです。

 

環境問題だって、資本主義(利益)と結びつけて、人間の欲望を利用するのが最も手っ取り早いのでは?と考えます。(=CO2排出量に応じた企業への金銭的なアメとムチの導入)

 

カーボンネガティブな企業(CO2の排出量よりも吸収量が多い)には、法人税減税を強化する。

一方、排出量の多い企業には、炭素税を課税する。炭素税導入については、むしろ時間の問題では?とさえ思います。

 

こんなことを考えるとき、ことごとく“国のリーダーシップってマジで大事”だと感じます。

 

 

また、家庭の排出割合は15%ほどですが、企業活動の最終判断者は家庭(消費者)であり、ボトムアップによって企業にプレッシャーをかける意味でも、個々人の取り組みや意識醸成は重要です。

 

そうはいっても、小泉環境大臣の退任時に、“レジ袋無料化の復活を”という意見が多くあることや、トヨタ社長が雇用を守るために、電気自動車偏重に懸念を示すニュースなどをみていると、日本人の意識醸成のために、やるべきことはまだまだありそうです。

(ちなみに、2050年に世の中全部を電気自動車にするには、2035年にはガソリン車の販売を止める必要がある!)

 

ちなみに、日本の直接排出量の割合(2019年度)は下記の通りです。

 

直接排出量の割合

エネルギー転換(発電所)                    39.1%

産業(工場)                                            25.2% 

運輸(自動車)              17.9% 

業務その他(商業・サービス・事業所)  5.8%

家庭                                                            4.8%

工業プロセス(石灰石消費)                    4.1%

廃棄物(廃プラスチック・廃油の償却)  2.8%

その他                           0.3%

 

二酸化炭素のつくり方である直接排出量においては、エネルギー転換(発電所)が約4割を占めており、エネルギーミックスのあり方が最重要となります。

この点については、また今度考えてみたいと思います。

 

めざす目標である2050年まで残り約30年もあるので、国ごとのエゴだとか、国家間の軋轢とかで、このまますんなりいくとは思えない。

けれど、日本がゆでガエルになって若い世代が犠牲になることだけは避けないといけないですね。

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若者が選挙に行くには?

10月31日に4年ぶりの衆議院選挙が実施されました。結果は現政権の自民・公明の勝利といっていいでしょう。

 

今回の選挙でとりわけ話題となったので、若者の投票率についてでした。

投票率である20代以下の若者を喚起するため、俳優がYoutubeなどで投票を呼びかけたり(星野源さんがラジオで語ったりもしてましたね)、選挙割といったキャンペーンなどが度々ニュースに取り上げられました。

 

けれど、結果として、今回の投票率もめだった改善はされていないようです。

(20代投票率は2017年衆院選:33.85%、今回は現時点でまだ公表されていません。)

 

また、高齢者のための政治を表したシルバーデモクラシーなど、今回も若者に危機感を煽るようなメッセージが発信されても、届かない人にはとことん届いていない印象です。

 

どうすれば若者の投票率は上がられるか? もちろん、答えは簡単ではないです。

 

選挙に行かない主な理由は下記の通りです。

南日本新聞社と学生団体「学生投票率100%をめざす会」が実施したアンケート)

 

① (住民票を移していないなど)今住んでいる市町村で投票できない 41.6%

② 政治や政策に関する知識がない 20.8%

③ 政治や選挙に関心がない 16.9

 

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①(住民票を移していないなど)今住んでいる市町村で投票できない 41.6%

 

この点については、投票システムの問題だから、国や自治体が対応すれば解決できないんですかね?

これだけインターネットが発達しているんだから、最終形としてはインターネット投票を目指すべきだと思います。時間や場所に囚われない形が理想です。

もちろん、セキュリティやなりすましなど課題は多く、すぐに実現は難しいでしょう。

 

ほかにも、例えばマイナンバーカードを投票券代わりに、(住民票の所在に関係なく、)どの投票所でも投票できる。とか、

若者が多く集まる繁華街や駅などに投票所を増やす。(コロナワクチンの接種会場もできたんだから、やればできるでしょ!)

など、投票へのハードルが少しでも下がる取組みはどんどん提案・実行されるべきです。

 

②政治や政策に関する知識がない 20.8%

 

この回答をみて、率直にある意味みんな真面目だなーと思いました笑

 

③政治や選挙に関心がない 16.9

 

この点について、いくら若者の声を代弁しているといわれても、実際に当選する人はほとんど40代以上ばかりなので、自分たちの代表っていう意識が薄いのも当然だよな、とも思います。

 

また、これだけ少子高齢化が進めば、“どうせ投票してもなにも変わらない”といった無力感が生まれるのも無理はありません。

 

そういう意味で、立候補の年齢制限って必要ですかね?

被選挙権は2016年から18歳に引き下げられましたが、被選挙権について特に話題にもなっていません。

現状、参議院議員(知事)30歳、衆議院25歳となっていますが、代表者を選ぶという点でどこまで意味があるのか。

もっといえば、議員の枠を年代別に分けるのもありだと思います。

(当然現状の選挙制度で当選した議員は猛反発だろうし、選挙制度を変えるのも議員なので相当難しいが…)

 

例えば、奨学金を国が負担!という政策を掲げても、60代のおじさんと、同年代の若者が唱えるのとでは、政策のデメリットも含めて未来を一緒に背負う意味で、刺さり方が全然違うのでは?と感じます。

 

②③の回答に共通していえることですが、政治に関する知識も関心も“自分から取りにいく気持ち”がなければ、得られません。

 

そういう意味で、若者は立場上、政治に積極的になりにくい世代だとも感じます。

というのは、若者は、“自分が頑張ればなんとかなる”“政治に頼る必要性がない”といった、残された人生の時間があり挽回ができるチャンスがある世代でもあるからです。

なので、“政治に頼るのではなく、まずは自分でなんとかしてみよう”という、ある意味自立した立場です。

 

一方で、高齢者は、生活費は年金で賄っているなど、政治と生活(人生)が関わりが深く、政治に対する依存度が圧倒的に大きいです。

 

そのため、自立している若者ほど、自分でなんとかする(できる)という意識が強いため、政治に頼ろうとしない→興味関心の低下→投票率 という流れを生んでいる。とも考えられます。

 

もしこの仮説が正しければ、喜んでいいのか、どうなのか… 若者の投票率って難しい。

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コロナと投資のメンタル

新型コロナウィルスに関するYahoo Japanのコメント数の推移をみていると、これまで経験にないほど“世論”の反応の仕方が把握できます。

 

感染者数が増える過程では、それに呼応するようにYahoo Japanのコメント数も連日のように数千件を超え、政府・自治体への批判や陰謀論(五輪や選挙のためのPCR検査の実施回数制限など)ともとれるコメントなど、ネガティブな内容で溢れかえります。

 

一方で、感染者数の波が下降傾向にある時は、批判の嵐が嘘だったかのようにコメント数は落ち着き、医療関係者への労いや、政権への前向きな評価などが中心で、景色は一変します。

 

感染拡大が始まってから、約4か月周期の感染者数の波となっていますが、今なおこの傾向は続いています。

 

宗一郎は、冗談でやっているのか? と思えるほど、感染者数の推移通りに世論が極端に一喜一憂することにまず驚きました。

もちろん、個人一人ひとりを丁寧にみれば、個々のスタンスは一貫していることが大半だと思いますが、状況(この場合、感染状況)に対して、“いちいち敏感に反応しすぎ”という感は否めませんでした。

 

また、違う視点の事柄についてもふと思い浮かびました。それは、“そりゃ、日本人は投資に向かないよね”ということ。

 

株式投資に代表されるいわゆる投資も、同じように波を描きながら価格が推移していきます。

もちろん、上げる時があれば、下がる時(場合によっては元本割れの時も)だってあります。

(FXや仮想通貨なら、波の高低(ボラティリティ)は殊更に高い。)

 

それでも“将来は上がるはずだ”と信じているから、投資にお金を投じるわけです。短期的には損失がでていても、長期的な展望があるから投資での握力を保っていられます。

短期的な波に一喜一憂していれば、いつかはメンタルが保てません。

 

もちろん投資の初心者の頃は、損をしていることに耐えられずに、負けることがあるかもしれません。

それでも、次はその負けを糧にして、長期的な展望をもって我慢ができるようになるから、投資で利益を上げられるようになっていくのです。

 

当然コロナの感染拡大と投資は一色淡にできませんが、この“状況に対する過敏さ”が日本人の気質を表しているものでは? とも感じます。

 

 

ネットでの資産形成の相談について、いわゆるファイナンシャルプランナーが回答している記事をよくみますが、やれ貯金だの、国債だのと、徹底的にリスクを排除した提案がやたら多いことに違和感を抱いていました。

 

けれど、日本人の気質をみると、なんとなく理解ができるような気がします。

 

たしかに、FPの提案のように国債や長期積み立てや貯金の割合を増やしていれば、大きく損をすることはないけれど、その前提は、70歳まで健康でずっとフルタイムで働き続けるってことです。

長い人生30~40年も社会や会社の状況、自分の気持ちが変わらないなんてありえないでしょう。

 

なので、特に若い人!長い人生、早い段階でリスクテイクする練習は必要です。

投資においても、社会の混乱時においても、長期的な視点を持ち、少しのことでは動じないメンタルを身につけることは大切です。

その経験の第一歩として、投資をしてみよう。

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メディアの情報量

東京都の新型コロナウィルスの新規感染者数が昨年5月ぶりに一桁代(9人)となり、急激な感染者現象と下げ止まりが続いています。

昨日見たテレビでは、先週月曜日にようやく今年初めての休みが取れたという医師の方がおり、心の底からこれ以上再拡大しないことと、今は心と体を十分に休めてほしいと願います。

 

宗一郎は、新型コロナのニュースをYahoo Japanのトップ画面からみることが多く、ニュース記事だけでなく、閲覧者のコメント数とその内容を一緒に確認することが多いです。

 

その理由は、サイト上では各ニュースが一行の見出しで記載され、どのニュースも“等しく”表記されて表現されてものが、コメント数によって社会の関心の度合いの“重みづけ”がされるのをみることができるからです。

 

話は少し逸れますが、学生時代の就職活動で新聞社の企業説明会に行った際、疑問に思ったことがありました。それは、メディアが表現できる情報量の限界についてです。

 

例えば、海外で大きなテロ事件が起きた際、同日にほかに大きなニュースがなければ、当然新聞の一面はテロ事件を大々的に扱うでしょう。

 

一方で、万が一同時に国内で大地震が発生したら。テロ事件の記事の扱いは、一面の隅っこ、または国際面のみでの取扱いに変わります。

 

つまり、一日あたりの新聞の面積は限られている(一定)であるという制約のため、ニュースが発生したタイミング(ニュースとニュースの相対的な関係性)によって、記事の大小が規定されてしまうことに、新聞が表現できる情報量の限界を感じたのです。

 

宗一郎のあるべきメディア(ここでは新聞)のイメージは、各新聞社が判断するニュースの度合いや情報量によって紙面の大きさが日によって変わるというものです。(もちろん現在の紙媒体では、記者の数、紙・インクのコスト、印刷機能、配達時の負担等の制約により、ほぼ不可能なのですが。)

 

新聞だけでなく、TVも放送時間、ネットもPC画面の大きさなどの制約の中で伝えるべきことを納める必要があります。

 

インターネットの発達により、情報の入手よりも取捨選択することに労力がかかるようになった現代において、効率よく重要な情報を選択する手段として、Yahoo Japanのコメント数はとても役に立ちます。

 

また、今後各記事に対して各社の整理記者が判断したニュース毎の重要度合の目安を付記する仕組みなどもでてくるかもしれません。

 

例えば、以下のような感じです。

A等級:1面掲載相当

B等級:A等級に次いで重要な記事、A等級の詳細解説など

C等級:B等級の条件を満たさない記事、地域面記事など

等級外:新聞社独自の特集記事など

 

このような印があると、紙面・WEB版に関わらず、日毎に異なって然るべきである重要な記事の数の違いや、新聞社毎の扱い方(違い)もより可視化できるようになります。また、新聞を読み始めた人の一定の道しるべにもなるでしょう。

 

少し長くなったので、続きはまた次回にしたいと思います。

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大好きな大阪

宗一郎は、現在は東京在住ですが、仕事の関係で10年ほど前に約3年間大阪に住んでいました。

 

大阪に移住するまで、関東圏しか住んだ経験がなかった宗一郎にとって、大阪での経験はそれはそれは刺激的で、楽しくて、キラキラしたものになりました。

 

関西人といえば、最初に思いつくのはやっぱり“笑い”でしょう。

宗一郎が大阪に住み始めて、最初に感じたのは、とにかく会話にテンポがあるということでした。

特に女性のノリがよく、“イジる”ことに対して、抵抗がないというよりむしろ嬉しそうにツッコミを入れるのが印象的でした。

 

一見、笑いに疎そうな冷静で大人しそうな女性で、“大阪人は全員が笑いを取れるわけではない”と常々発言していた女性でさえ、ふとした瞬間にセンスのあるセリフをぼそっと発する場面を何度も目にしました。

 

また、埼玉と千葉のライバル関係に似た、関西の府県を境にした対抗意識の強さも感じました。神戸や京都出身の女子の、大阪の子と一緒にしないで。っていうやつです。(宗一郎からみたら、みんな関西弁(厳密にいえば異なっているのだろうが)を話していてかわいらしいのに。と思うのですが。)

 

会社のおじさんたちも、関西出身であることに誇りを持っている人が多かったです。

(なぜか大の巨人ファンで会社のデスクもジャイアンツグッズだらけみたいな人もいたけど、その人も含めてみんな大阪愛に溢れていました。)

 

宗一郎も心の底から大阪が好きだし、それを公言していたので、それを聞いていた関西人はみんな“そうだろ~?”的な感じで満足そうだったのが、印象的でした。

 

一方で、もし東京から来たことを全面にだして、大阪に対するネガティブな印象を与えていたら、ほかの地域以上に、居心地が悪かったと想像します。義理人情に厚く、薄情な人はばっさり切るというイメージです。

 

東京への対抗心はとても強く、東京が考える施策に対して、いちいちいちゃもんをつけるような偉い人もたくさん(というかほとんど?)いました。それもあって、大阪の事業所の中での連帯感はとても強く、社内の規律や風通しのよさに、仕事上で何度も助けられました。(一端の担当者でも、トップを味方につければ、全体が動いてくれるなど)

 

また、大阪万博だって、(あからさまにはしないけど、)東京五輪に対する対抗という意図もあるはずです。

 

他の地域に比べて、雰囲気が米国に似ているとも感じました。(もちろんエスカレータだけではありません。)当時の大阪の友だちは、例えば予定を急遽キャンセルしても、特に理由を探られることもなく、なにごともなかったようにまた会えたりしました。

良くも悪くも、相手の自由を尊重している感じです。

 

歴史的にも、武士の街ではなく、町人の街であり、船場の経済力で大都市になったという背景があります。自分のことは自分で責任をもつから、その代わり、お上(政府)は口を出さないでほしいという感じでしょうか。それが、“小さい政府”主義である大阪維新の会の人気を支えているとも言えます。

 

そんな自由を尊重し、笑いにあふれた町大阪が、宗一郎は本当に大好きです。

いつかまた大阪で暮らしたいと常々思っています。

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みんなジレンマと戦っている

第165回(2021年上半期)芥川賞受賞作である“彼岸花が咲く島”という本を読みました。

 

記憶を失くした主人公の少女が流れ着いた島(与那国島がモデル)は、ノロという名の女性しか担えないリーダーが統治し、男女が違う言葉を学ぶ。そんな環境での成長を描いた物語。

 

その中で、印象に残る言葉がありました。

島の統治者(大ノロ)が命がけで島を守る姿勢を目の当たりにしたときに、主人公が胸に刻んだ“指導者とは責任だらけの人間なんだ”という言葉。

 

この言葉は、“仕事における責任“ということについて振り返るきっかけになりました。宗一郎は、新卒から十数年間、大手企業(サラリーマン)で働き、今は退職しています。退職直前では複数人の部下をもつ立場でもありました。

 

いわゆる担当者として仕事をする時代は、今思えば、自由に仕事をさせてもらっていたと思います。

一方で、割り振られる業務が膨大なため、深夜まで仕事をする日も少なくありませんでした。

(仕事終わりに終電後も開いている居酒屋で先輩と食事をしてから、タクシーで帰ることも!)

 

そんな状況のため、定時になると何事もないようにサクッと退社する上司に対して、“少しくらい業務の見直しをしろよ!”や、“人を増やせよ!”といったことをモヤモヤ考えることが多かったです。

 

一方で、部下を持つ立場になると、実務についてある程度部下に指示ができるので、自分が手を動かすということは減っていきます。

 

それに代わって、部下の仕事の進捗に責任を持つことになる。その立場においては、問題が発生したときが大変です。上司への報告と部下のフォローの板挟みという、違った種類のストレスを背負うことになります。

 

想像に難くないのは、より上位のポジション、いわゆる部長や役員、社長であっても、それぞれ顧客や株主など、それぞれの立場で質の異なるストレスやプレッシャーにさらされ続けるということです。

 

会社は一人ではできないことを大人数で実現するための集合体であり、大きな成果をだすには、トップダウンでの指揮命令といった組織の効率を上げる仕組みをつくるのは当然と思えます。

 

社長から担当者まで、それぞれの責任を全うしてみんなで大きなことを成し遂げようと一生懸命であり、誰も悪意をもって追い込もうとしている人はいません。

 

けれど、組織間の競争が激しくなったり、権利のある者(顧客や株主)の声が大きくなるほど、組織内での“無茶ぶりの波”が上位職制からめぐりめぐって担当者まで行き届くときには、こらえきれないほど大きなものになっていることも少なくないです。

 

これが組織の最も恐ろしい点のひとつだと思います。

一人ひとりが最善を尽くしているつもりでも、全体でみるとどこかで歪みが生じて、壊れてしまう人がいる。

 

宗一郎は、やっぱり、“心身の健康を犠牲にしてまでも、仕事を優先すべき“という考えが正しいとは思えません。もっともっと働く人の幸せに焦点をあてて社会をつくっていくべきだと思います。

 

働く人が等しく(社長から担当者まで)、少なくとも過度なストレスを受けない社会・会社のあり方ってなんだろうか。と考えても、簡単には答えはでない。

 

けれど、これから希望をもっていきていくべき、若い人たちがひとりでも、働くことが楽しいと思える社会になってほしい。

 

そして、10年後には、今の行き過ぎた働き方が、いわゆる昔の奴隷制度のような、“現代では考えられないよね”という扱いになってほしいと切に願います。

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幸せな働き方とはWhatではなく、Howなんだ

毎日の仕事のストレスで、心も体も疲弊して、早くこんな状況を抜け出したいと願う人は多いと思う。宗一郎もその一人です。(夜遅くまでの残業が続いて、自分の時間が取れないときには、今の生き方・働き方について、よくよく考えます。)

 

そんなときに、現状の打開策で真っ先に思い浮かぶのは、“自分はどんな仕事をしよう?”とか、“どんな職種が向いているのか”、“給与はこれくらいもらえないとな”といったことです。

 

けれど、そのような業務内容や待遇といった仕事の“What”から考えて、それが達成できたときに、果たして幸せな毎日が待っているのかといったら、疑問でもあります。

 

なぜなら、例えば、夢にまでみたキャピンアテンダント(宗一郎の夢ではありません)になれたとしても、先輩や同僚との人間関係に毎日疲弊(しかも密室の中で2~13時間一緒!)したり、残業が多く自分の時間が持ちたくても持てない環境であれば、いくら念願だった仕事につけたとしても、それを続けることは難しいのでは?と思ってしまいます。

 

実際に、宗一郎の過去の仕事のストレスを整理してみると、

 ①業務の拘束:理不尽で納得のいかない業務命令、興味関心からかけ離れた業務

 ②待遇:給与・福利厚生が十分ではない

 ③時間の拘束:長時間労働、理不尽な業務命令、無用な飲み会、

 ④場所の拘束:毎日の通勤、労働環境の不備(狭い、暗いなど)

 ⑤人間関係の拘束:合わない人と業務をしなければならない、配属・転勤先の人間関係

 といったようなものになります。

上記のうち、仕事のWhatの部分は①②、

一方、働き方や人間関係のといったHowについては③④⑤にそれぞれ分けられます。

 

振り返ってみると、宗一郎にとってのストレスは、実は業務の中身や待遇よりも、むしろ後者のHowから大半がもたらされていたりします。(みなさんはいかがでしょうか?)

 

仕事のストレスによって、体調不良や家族との不仲など、人生の質を大きく下げてしまう人が多いなか、“ストレスをいかに下げるか”にフォーカスして、仕事を選択することも大切なのでは、と感じます。

また、Whatの部分については、趣味や副業など、違った方法で満たす方法もあるかもしれません。

 

企業側(雇用者)としても、従業員の働き方(how)にもっと着目するべきです。従業員の働き甲斐やモチベーション向上という場合、多くの企業ではキャリア教育と称して、研修や1on1ミーティングなどの導入に取り組むところが多いですが、それが本当に効果があるかは甚だ疑問です

 

あくまでもその会社の中で貢献してもらうという範疇であることが、会社と社員の間で暗黙の中でなされているものです。(例えば、食品メーカーの社員が、小説家になりたいというキャリアプランを描いたとしても、それは退職して勝手にどうぞ、という話になります。)また、人気のある仕事もポストに限りがあり、希望者が全員その仕事に就くことは不可能です。

 

それよりも、各社員の理想の働き方(時間や場所、誰と働きたいのか)にフォーカスをあてて、最大限会社がそれを叶える努力をする方が、現実的かつ効果的だと思います。

また、それでも希望が通らなかった人は、その分手当で補填することも一案だと思いますが、どうでしょう?

 

仕事の中身や待遇といった“What”にこだわるのではなく、仕事のスタイル(仕事相手を選べる環境、働く時間や場所を選べる環境などなど)“How”から、「働く」を考える方がよっぽど幸せな人は増えるのではと思います。

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