メディアの情報量

東京都の新型コロナウィルスの新規感染者数が昨年5月ぶりに一桁代(9人)となり、急激な感染者現象と下げ止まりが続いています。

昨日見たテレビでは、先週月曜日にようやく今年初めての休みが取れたという医師の方がおり、心の底からこれ以上再拡大しないことと、今は心と体を十分に休めてほしいと願います。

 

宗一郎は、新型コロナのニュースをYahoo Japanのトップ画面からみることが多く、ニュース記事だけでなく、閲覧者のコメント数とその内容を一緒に確認することが多いです。

 

その理由は、サイト上では各ニュースが一行の見出しで記載され、どのニュースも“等しく”表記されて表現されてものが、コメント数によって社会の関心の度合いの“重みづけ”がされるのをみることができるからです。

 

話は少し逸れますが、学生時代の就職活動で新聞社の企業説明会に行った際、疑問に思ったことがありました。それは、メディアが表現できる情報量の限界についてです。

 

例えば、海外で大きなテロ事件が起きた際、同日にほかに大きなニュースがなければ、当然新聞の一面はテロ事件を大々的に扱うでしょう。

 

一方で、万が一同時に国内で大地震が発生したら。テロ事件の記事の扱いは、一面の隅っこ、または国際面のみでの取扱いに変わります。

 

つまり、一日あたりの新聞の面積は限られている(一定)であるという制約のため、ニュースが発生したタイミング(ニュースとニュースの相対的な関係性)によって、記事の大小が規定されてしまうことに、新聞が表現できる情報量の限界を感じたのです。

 

宗一郎のあるべきメディア(ここでは新聞)のイメージは、各新聞社が判断するニュースの度合いや情報量によって紙面の大きさが日によって変わるというものです。(もちろん現在の紙媒体では、記者の数、紙・インクのコスト、印刷機能、配達時の負担等の制約により、ほぼ不可能なのですが。)

 

新聞だけでなく、TVも放送時間、ネットもPC画面の大きさなどの制約の中で伝えるべきことを納める必要があります。

 

インターネットの発達により、情報の入手よりも取捨選択することに労力がかかるようになった現代において、効率よく重要な情報を選択する手段として、Yahoo Japanのコメント数はとても役に立ちます。

 

また、今後各記事に対して各社の整理記者が判断したニュース毎の重要度合の目安を付記する仕組みなどもでてくるかもしれません。

 

例えば、以下のような感じです。

A等級:1面掲載相当

B等級:A等級に次いで重要な記事、A等級の詳細解説など

C等級:B等級の条件を満たさない記事、地域面記事など

等級外:新聞社独自の特集記事など

 

このような印があると、紙面・WEB版に関わらず、日毎に異なって然るべきである重要な記事の数の違いや、新聞社毎の扱い方(違い)もより可視化できるようになります。また、新聞を読み始めた人の一定の道しるべにもなるでしょう。

 

少し長くなったので、続きはまた次回にしたいと思います。

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