みんなジレンマと戦っている
第165回(2021年上半期)芥川賞受賞作である“彼岸花が咲く島”という本を読みました。
記憶を失くした主人公の少女が流れ着いた島(与那国島がモデル)は、ノロという名の女性しか担えないリーダーが統治し、男女が違う言葉を学ぶ。そんな環境での成長を描いた物語。
その中で、印象に残る言葉がありました。
島の統治者(大ノロ)が命がけで島を守る姿勢を目の当たりにしたときに、主人公が胸に刻んだ“指導者とは責任だらけの人間なんだ”という言葉。
この言葉は、“仕事における責任“ということについて振り返るきっかけになりました。宗一郎は、新卒から十数年間、大手企業(サラリーマン)で働き、今は退職しています。退職直前では複数人の部下をもつ立場でもありました。
いわゆる担当者として仕事をする時代は、今思えば、自由に仕事をさせてもらっていたと思います。
一方で、割り振られる業務が膨大なため、深夜まで仕事をする日も少なくありませんでした。
(仕事終わりに終電後も開いている居酒屋で先輩と食事をしてから、タクシーで帰ることも!)
そんな状況のため、定時になると何事もないようにサクッと退社する上司に対して、“少しくらい業務の見直しをしろよ!”や、“人を増やせよ!”といったことをモヤモヤ考えることが多かったです。
一方で、部下を持つ立場になると、実務についてある程度部下に指示ができるので、自分が手を動かすということは減っていきます。
それに代わって、部下の仕事の進捗に責任を持つことになる。その立場においては、問題が発生したときが大変です。上司への報告と部下のフォローの板挟みという、違った種類のストレスを背負うことになります。
想像に難くないのは、より上位のポジション、いわゆる部長や役員、社長であっても、それぞれ顧客や株主など、それぞれの立場で質の異なるストレスやプレッシャーにさらされ続けるということです。
会社は一人ではできないことを大人数で実現するための集合体であり、大きな成果をだすには、トップダウンでの指揮命令といった組織の効率を上げる仕組みをつくるのは当然と思えます。
社長から担当者まで、それぞれの責任を全うしてみんなで大きなことを成し遂げようと一生懸命であり、誰も悪意をもって追い込もうとしている人はいません。
けれど、組織間の競争が激しくなったり、権利のある者(顧客や株主)の声が大きくなるほど、組織内での“無茶ぶりの波”が上位職制からめぐりめぐって担当者まで行き届くときには、こらえきれないほど大きなものになっていることも少なくないです。
これが組織の最も恐ろしい点のひとつだと思います。
一人ひとりが最善を尽くしているつもりでも、全体でみるとどこかで歪みが生じて、壊れてしまう人がいる。
宗一郎は、やっぱり、“心身の健康を犠牲にしてまでも、仕事を優先すべき“という考えが正しいとは思えません。もっともっと働く人の幸せに焦点をあてて社会をつくっていくべきだと思います。
働く人が等しく(社長から担当者まで)、少なくとも過度なストレスを受けない社会・会社のあり方ってなんだろうか。と考えても、簡単には答えはでない。
けれど、これから希望をもっていきていくべき、若い人たちがひとりでも、働くことが楽しいと思える社会になってほしい。
そして、10年後には、今の行き過ぎた働き方が、いわゆる昔の奴隷制度のような、“現代では考えられないよね”という扱いになってほしいと切に願います。