憲法は死んでいる

突然ですが、日本国憲法は“生きている”と思いますか? “死んでいる”と思いますか?

 

憲法学者の間には、“憲法の生死”という考え方があります。

どういうことかというと、たとえ憲法自体が廃止されてなくても、憲法の精神が無視されているのであれば、効力を失う=死んでいるとみなすというものです。

 

例えば、ドイツのワイマール憲法

第一次大戦の敗戦後、ドイツ革命によりワイマール憲法が生まれます。国民主権が導入されたり、大統領を直接選挙で選ぶことになったり、労働者の社会権が保証されるなど、当時世界で最も進んだ憲法だと評価されていました。

 

ところが、ワイマール憲法はあっさり死んでしまう。その主人公になったのは、言うまでもなくヒトラー

 

1933年3月23日に、全権委任法という法律が可決されました。この法律は、法律を制定する権利、つまり立法権を政府に与えるというもの。本来、法律の制定権は立法府である議会のものであって、行政府のものではないというのは、議会政治の基本中の基本。

 

ところが、全権委任法によって、議会は立法権ヒトラーに譲り渡してしまった。この結果、彼は合法的にドイツの独裁者になれた。

憲法学者は、「全権委任法は違憲だから、無効である」とは考えない。なぜなら現実として、この法律でヒトラーは独裁者になっているから。だから、1933年3月23日をもって、ワイマール憲法は死んだと考える。

 

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そう考えると、今の日本国憲法って死んでるのではって思うことがたくさんあります。

 

たとえば、生活保護を受けるべき人が受けられずに苦しむ実態がコロナ禍で顕在化されると、“本当に個人として尊重されているの?(第十三条)”とか、森友問題なんか本当に“公務委の不正行為を賠償(第十七条)”できてるの?って感じます。

 

“奴隷的拘束を受けない(第十八条)”ってあるけど、奴隷と変わらない働き方を強いられている人は少なくありません。一方で、”勤労の義務を負ふ(第二十七条)“といっても大金持ちは守ってないでしょ、などなど。

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第十二条の条文は下記文言になっています。

 

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、“国民の不断の努力”によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

 

宗一郎は、“国民の不断の努力”の部分がポイントだと思います。自分たちの自由とか権利って、口をあけて待っていれば手に入るものではなくて、それ相応の努力(国家権力が法律をちゃんと守っているかを監視するなど)がいるってことを再認識させられます。(この文言が憲法自体に含まれているのもユニークです。)

 

そして、この“国民の不断の努力”のやり方って、時代とともに変化してきました。

 

昔は、多くの人が血を流して、革命を起こすといった方法が頻繁に試されたり、現代では選挙による国民のジャッジや学校教育で政治の選球眼を養うという方法が主流だったりします。

 

一方で、選挙は投票率が低位であることや、提示された政策の選択という、国民にとって受身の取組みであることが課題だったりします。

教育も効果の測定自体が難しい。また、政治の必要性を感じるのは、失業や病気、出産など、人生に変化が生じるときだから、(それほど変化のない)学生時代に学んでも切迫感がもてないということもあるでしょう。

 

なにより選挙は民意を反映できるチャンスが数年毎にしかなかったり、教育も効果がでるまで少なくとも数年はかかるという時間的制約が大きい。

 

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じゃあ、これから“国民の不断の努力”ってどう変化していくのか。宗一郎は、現政権への評価をよりタイムリーに、より個別具体的に行った方がいいのでは?と思います。

 

直観的にそう感じたのは、最近の新変異株(オミクロン株)出現で思い切った入国制限政策や、10万円の子育て給付金の支給方法変更などの政府の取り組みからです。

 

これら政策決定において、政権与党は相当世論に気を使って、国民の意に沿うような意思決定をしているようにみえました。

 

そうさせているのは、もちろん総理が菅さんから(自称聞く力のある)岸田さんに変わり、前政権の反省を踏まえた対応の現れともいえるでしょう。

 

ただ、それだけではなく、国民の意見をリアルタイムで表現できる仕組みの登場、このインパクトも大きく関係していると思います。

 

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最近、YahooのWebサイトでは、政策を含むニュースやエンタメ、スポーツなど、あらゆる項目で頻繁にアンケート調査を実施しています。また、主に企業のマーケティングに活用されているYou tubeのアンケート機能や、テレビのdボタンだって、政策に民意を反映させる仕組みに昇華できる余地は十分あります。

 

オンライン選挙の実施について議論がされていますが、こういった取り組みは、もはやリアルタイムかつ大規模な“国民投票”が実施できているともいえます。

 

ひとつひとつの政策の評価の積み上げが、政権全体の支持率につながると考えれば、政府はこれらの調査結果はますます無視できなくなるでしょう。

 

テクノロジーの発展により、人口の増加や時間的・空間的制約から解放されたいま、より直接的な政治を志向していってもいいタイミングではないかと思います。

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