幸せな働き方には、幸せの形づくりが必要
いわずもがな私たちは資本主義の中で生きています。資本家と労働者の関係の中で、大半の人は労働者として、働いています。
単刀直入に言います。労働者は資本主義では豊かになれません。そういう仕組みになっています。
だからこそ、かのカール・マルクスも団結して革命を起こそう!と奮起しました。
では、労働者である私たちは、どうすれば幸せな生き方や働き方を実現できるのか?
宗一郎は、団結したり革命したりするのではなく、虎視眈々と自分の“やるべきこと”をやって、自由な生き方・働き方をめざすのが、現実的かつ確実な方法だと考えます。
やるべきことって、例えば、資本主義の仕組みを少しでも知って、理想に近づける行動を起こすことです。
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そもそも労働者の給料ってどうやって決まるのか。2種類の考え方があります。
①必要経費方式
②利益分配方式
日本で働いている限り、ほぼ①に当てはまります。
(外資系金融機関など、②に該当する会社もまれにあります。)
①とはなんぞや?ということですが、給料は能力でも成果でもなく、“明日も同じように働くための必要は経費”が給与として支給されるということです。
身も蓋もない言い方をすれば、資本家にとって労働者が、次の日も朝から元気に1日働けるように、“最低限”必要なお金だけが給料として支給されるにすぎないのです。(これをマルクスは「労働力の再生産」と表現しました。)
いやいや、日本でも成果主義が浸透しているじゃないか、という意見もあるでしょう。
あくまで、それは①のおまけのようなものです。事実、査定によって増減する給与額って、おそらく年収の数パーセント程度ですよね。
だから、頑張れば頑張るほど給料が上がるわけではないんです、残念だけど。
日本全体がこの仕組みなので、転職しても状況は変わらないし、給与が上がらないのは日本の景気のせいでもありません。
必要な経費とは、具体的には、食事や住宅(家賃)、洋服、その他気晴らしの飲み代などです。
働かないオジサンの給与が高いのも、子どもができて、家族を養うための生活費がかかるからです。
給与が高い人は、その分必要経費が高いだけです。
仕事の内容や職種によって、高低があるのは、その仕事をするスキル習得にかかるコストが上乗せされているから。
ストレスが大きい仕事が多く、その分の気晴らしにかかる金額も高く見積もられているでしょう。
嫌な言い方をすれば、資本家にとって、労働者がお金持ちになりすぎて仕事をしなくなるラインと、お金が少なすぎて元気に働けなくなるラインのギリギリを見極めてるってことでしょう。
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では、私たち労働者がどう挽回するのか。ポイントは、給与の水準が“社会一般的に”必要な経費であるってことじゃないかと思います。
給与は経費で決まるといっても、(交通費などは別にして)食費や衣服費をいちいち会社に申請して、実費支弁で受け取るわけではありません。一般的にこれくらいかかるよね、という金額をもとに計算されます。
つまり、個々人でかかる費用が一般的にかかる必要より少なければ、その分お金が残ります。それを元手に、投資という労働者から資本家に軸足を移す行動をしていく。
①手元のお金が増える → ②投資する(資本家側にまわる) → ③投資利益を得る → ①に戻る
このサイクルをまわしていくことで、金銭的・精神的に余裕ができ、生き方・働き方の選択肢も広がっていきます。
記述の通り、労働者としていくら頑張っても、あくまで必要経費分しかもらえないので、ずっと同じ働き方を続けることになります。(資本家の思う壺です。)
もうひとつ大切な点は、“最低限これさえあれば幸せ”の具体的な経費を把握することです。
例えば、運動が好きだから近所をランニングできれば幸せ、だとか、Netflixでドラマさえ見ていれば、幸せだとか。
ここでの要点は、”極力お金を使わずに”ということです。
贅沢(お金を使う)をしようと思えば、いくらでもできます。給与が上がった分、使うのは簡単です。
けれど、上を上を目指し続けるのが、資本主義の考え方です。資本主義に依存しない幸せを見つけることが大切です。
宗一郎は、家族とくだらないテレビを見ながら笑いあうだけで、天気がいい日の空を見上げるだけで、十分幸せだと感じます。
昼も夜もなく働いて、たくさんお金を稼いで贅沢するよりも、よっぽどめざしたい生き方だと思えます。
足るを知る、の具体化をしてみよう。