一生懸命さの基準

日本人はよく働く、昔からよくいわれていることです。

 

でも、若者のニートが増えているというニュースをみたり、コンビニや飲食店でのふとした時に、塩対応の接客態度に遭遇して傷心するたびに、それってほんとか?とも思うんです。

 

むしろ、日本人より外国人の店員さんの方がよほど日本人より元気があって、気持ちのいい接客をしている印象です。

 

日本の飲食店など、いわゆる時給の仕事では、圧倒的にアジア人が多い。それは、母国の物価が安く、母国との移動距離が少ないことはもちろん、日本の語学学校の進出が加速するなど、日本語を学べる環境が他地域に比べて整っていることもあります。

 

一方、ヨーロッパ人はあまり働かないといわれます。たしかに、欧州に旅行した際、レストランや駅などでの対応をみると、日本人ほど丁寧な接客はしていません。

日本においては、そもそもヨーロッパ系の人が働いているところを(街中で)みる機会自体がありません。

 

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日本人・外国人に関わらず、一生懸命働く(少なくとも、そう見える)人と、そうでない人の違いってなんなんでしょう。

 

それはパーソナリティの問題で、一生懸命働く人は、もともとそういう性格なんだ。という意見もありそうですが、果たしてそうでしょうか。

 

例えば、カフェでバイトを始めたとして、仕事を覚えたての頃は誰もががむしゃらに一生懸命働きます。

 

それは、“仕事ではなにも貢献できない分、やる気で挽回しよう”だとか、“多少のミスも元気に免じて許してもらおう”といった気持ちからです。

また、一緒に働く人に対して、仕事を教えてもらうための一種のアピールでもあるでしょう。(仕事を教えてもらえないことは、新人にとって死活問題)

 

新入社員が、挨拶や飲み会の幹事をしつこく指導されるのは、わかりやすく(目に見えるように)一生懸命さを上司や先輩に示して、育ててもらう環境を意図的につくるためです。

 

一方、月日が経って店長の代理を任されるような頃(長老?)には、接客の態度に帯びる熱はいくぶん落ち着くケースがほとんどでしょう。

 

仕事を通じて経験値が上がり、“仕事そのもので貢献できる”ようになったため、後ろめたさの挽回や周囲へのアピールの“必要性”がなくなった、ということです。

 

なので、一生懸命さのありなしって、個々人のパーソナリティというより、その仕事に対する“熟練度の度合い”との相関が強いのではと感じます。

つまり、熟練度が低い=仕事の具体的スキルや知識、使用する言語力が低いときほど、人は一生懸命さを表現するということです。

 

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けれど、熟練度に関係なく、一生懸命さを前面に表現している仕事もあります。アメ横のお菓子売りや、築地市場の競りなどは、その代表例でしょう。

 

ベテランの職人さんが、一生懸命声を張り上げて仕事をしており、そこに熟練度の高低は影響していません。なぜなら、一生懸命を示すことが、仕事の成果を直接決めるからです。

当然、お菓子売りだけでなく、売上高で成果が決まる営業職なども同じでしょう。

 

また、共産国のような、いくら頑張っても給与が変わらない状況と、資本主義の国とでは、一生懸命さが異なるのは明らかです。

以前、出張でロシアに行った際に、市場の店員さんのやる気のなさにびっくりした覚えがあります。

 

なので、“その仕事を取り巻く環境”も要因となり得るといえます。

 

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一生懸命さを表にだすかどうかの傾向って、おそらく国籍や人種関係なく、共通の原理なんだと思います。日本人が外国にいけば、その土地での振る舞いになるだろうし、外国人が日本に来た場合でもしかり。朱に交わればってやつです。

 

今後塩対応にあたっても、いろんな要因があるからね、と想像しながら対応すれば、少しは傷つかずにすむのかな…

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