成長してどうするの?

最近よく、就職活動での企業選びの指標として、“成長できる会社”というセリフをよく耳にします。転職支援企業の広告とかでも、やたら“成長できる企業”特集なんかを組んで、“成長”って素晴らしい!ってな感じで、労働者を盛りたてています。

 

一見もっともらしい印象を受ける言葉ですが、

「みんなほんとに成長さえすれば、人生がうまくいくと思ってるの?」

“成長”という言葉を聞くたび、宗一郎はそんなことを感じます。

 

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多くの人がいう成長って、仕事をする上での能力・スキルが上がることだろうと思います。

つまり、[スキル・能力があがる]→[やりがいのある仕事・ポジションにつける]→[収入が増える]→[充実した人生]というプロセスをイメージしている。

 

でも、“成長”ってあくまで自分の幸せな生き方を達成するための、ひとつのツールであるに過ぎないものです。幸せな生き方への道筋って幾通りもあるはずで、ルートAでは成長が不可欠でも、ルートBでは必要ないもの、そういう類いのモノです。

 

なので、まず成長ありきで考えるより、自分は“どんな生き方をしたいのか”を先に考えた方がいい。“成長”という曖昧模糊とした言葉で濁してしまうと、具体的な行動に移せない。

 

それと、成長できたからって、必ずしも給与が上がるとも限りません。昇格だって、企業の業績による組織編成や同世代のライバルの人数、査定する上司との相性、そして運など、自分の成長だけではどうにもならないことだらけです。

 

蛇足ですが、仮に収入が増えたとしても、日本の税制上、年収1,000万円と年収500万円では、毎月の給与は、額面では32万円ほどの差ですが、手取りになると21万円ほどの差に縮まります。

 

また、高給取り世帯は、周囲に合わせていくことで、住居費や教育費のコストも上がる傾向があり、収入ほどの余裕は感じられないようです。

 

給与が増えるに従い増える税負担。給与が増えれば生活水準があがり、支出も当然増えていく…

 

給与アップのために、成長を追い求めて、毎日必死にジャンプする人生って、成長っていう言葉だけでは続かないし、いつか身体を壊してしまいます。

 

なので、近頃の一種の“成長神話“になにか違和感をもつんです。

 

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なぜこれほど“成長”という言葉が市民権を得ているのか。それは、国や企業、お金持ちにとって都合のいい言葉だからです。

 

成長って元来資本家のための言葉であって、成長が不可欠なのは、働く人個人ではなく、資本主義という制度です。借金&利子という仕組みがある以上、資本主義とっては成長が大前提。

 

以前のブログ(幸せな働き方の準備)にも書きましたが、労働者は、基本的に“明日も元気に働くための必要経費”分の給与しかもらえません。なので、歯を食いしばって頑張って利益を出せば出すほどほど、得をするのは、労働者ではなく資本家です。

 

少子高齢化による働き手減少や、業務効率化の競争の流れから、より少ない人数でより効率的に業務を行っていく必要がある。だから、世の中に“成長”って言葉が溢れているんです。

 

企業にとって、文句も言わず勤勉でよく働き、安い給与で高い利益を出してくれる労働者になってくれよって、ことです。

 

同じような意味で、“キャリアアップ”という言葉にも違和感があります。企業が掲げるキャリアアップって、あくまでその企業内での仕事の範疇での話です。

社外転身を希望する社員のキャリアを本気で考えてくれる企業は、まぁ存在しないでしょう。

 

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成長ができたとしても、長時間労働や人間関係の不和によって、結果として不幸では意味がありません。“成長”って、これさえ得られれば人生うまくまわりだす、ってことではなく、ましてやゴールでもありません。

 

最後に、誤解のないように付け加えますが、宗一郎は決して“成長”が不要だとは思っていません。自分にとってのゴールに必要であれば、成長をめざすべきです。

けれど、やみくもに“成長”を鵜呑みにするのではなく、自分にとってどこまで大事なのかを、もう一度考えてみる必要があるんだと思います。

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