Withコロナにおいて、残ってほしいもの

新型コロナウィルスの感染状況が10月以降落ち着きをみせています。もちろんまだまだ油断はできませんが、(日本に限れば)“収束宣言”という出口が少しずつみえてきた気もします。

 

人類は1934年のインフルエンザウィルス発見から、これまでずっとWithインフルの中で生活してきたわけですが、今後はそれにWithコロナが加わります。

 

コロナを経験したこの2年間、大きく変わったもの(変わらざるを得なかったもの)がたくさんありますが、コロナ収束後にも、世の中に残るものってなんでしょう? 予想してみました。

 

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[店舗全般]

従来の手洗いうがいに加えて、消毒液の設置は今後も続くでしょう。多くの人の衛生観念のレベルが一段上がって、ことあるごとに手を消毒しないと落ち着かなくなってしまいました…

 

ちなみに、日本で手洗い・うがいが定着したのは約2500年前の古墳時代で、大きな疫病が流行った際、崇神天皇が神社に手水舎をつくり、手洗いや口をゆすぐことを推奨し、食前やトイレの後にも手を洗う習慣が生まれたようです。へー。

 

[飲食店]

パーテーションの設置は感染対策だけでなく、コロナ以前から大学食堂にあるような、おひとり様用座席の機能を兼ねて定着するでしょう。

なによりソーシャルディスタンスの確保に慣れてしまったので、知らない人と肩寄せ合ってラーメンを食べる。といった状況に慣れるまでまだ時間がかかりそうです。

 

また、感染症研究のシミュレーション映像を通じて、飛沫がめっちゃ飛散することが可視化されてしまったため…、店員さんのマスク着用はこれからも続きそうです。

 

ちなみに、日本でマスクが定着した理由は、1918年のスペインかぜや、花粉症の予防だけでなく、学校給食の配膳、若者のファッションアイテム化、日本人が感情を読み取るときに“目元”を重視する文化(欧米は“口元”を重視)などが影響しているようです。へーへー(しつこい)。

 

[会社]

BCPの観点から、緊急時のプロセス見直しやテレワークを含めたインフラ整備、従業員の業務継続力など、“企業の危機対応能力”は格段に向上しました。

Withコロナから少し逸れますが、最近の電車内での事件を踏まえて、防犯というリスクヘッジの観点からもテレワークの活用は多くの企業で継続されていくでしょう。

 

[テレビ]

ワイドショーなどでの出演者のモニター出演は継続しそうです。コメントだけのために全員同じ場所にいる必要はないし、スタジオ出演は交通費・弁当・メイク・楽屋準備など、諸々コストもかかるしね。

 

[スポーツ・エンタメ]

オンライン視聴の仕組みの進化により、オンサイト以外の選択肢が増えました。事業者側にとっても新たな収入源として、Web視聴は定着していくと思われます。

 

[住宅・建物]

住宅の間取りの中に、テレワーク用のスペースを確保する傾向に進むでしょう。同時に、換気(空気の流れ)を重視した空調設備も進化していくと思います。

 

また、今後レンタルシェアオフィス以外にも、極小アパートをテレワーク用に賃貸する流れも増えてくるかもしれません。

 

[学校]

小中学校でタブレットの配布が進み、オンライン授業の整備が一気に進みました。

インフラは整ったので、学習は日本で一番授業がうまい先生がオンラインで担い、現場の先生は進捗状況のフォローや家庭環境を含めたメンタルケアなど、“こころの豊かさ”を育む役割を担うといった分担も、あり得るのではないかと思います。

 

[政府](期待と希望を込めて)

感染症を含めた有事における医療機関等の対応力強化(国外からの感染経路封鎖、各病院のリソース共有の仕組みなど)

 

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コロナの経験を通じて、宗一郎がもっとも変わってほしいのは、“あらゆる人の選択肢が増える社会”の実現です。

 

会社や学校に出社/出席しなくてもいい自由

飲み会に参加しなくてもいい自由

社会が危機的な状況になっても、困窮しても自分らしく生きていける自由

 

コロナによって、今までの当たり前が崩れ、“いろんな選択肢があるじゃん”“これまで普通だったことがなくなっても、案外平気だね”ってことを日本全体が知りました。

 

社会の成熟って、選択肢が増えることだと思います。

 

コロナが収束してから数年後、日本は選択の自由度が増して、より豊かな社会になっているのか、はたまた同調圧力の強い不自由な社会に逆戻りしているのか、宗一郎はこの点を興味深く見守っていきたいと思います。

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